やまなしの国保
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 先日「尼僧になって一番変わったことは?」とインタビューを受けたので、あらためて自分の人生を客観的にみつめてみると、一番大きな変化を感じているのは、連日のように心に苦しみを抱えておられる人が訪ねて来られるということです。その為なのかいつしか活動内容は講演会と相談業務が主になりました。 そんな中、気付いたことは我々は悩みや苦しみがあると、その結果に注目し、なぜそうなったのか、という根本原因には目をむけない傾向にあるということです。 もちろん、胃痛になればお薬を用いて胃の痛みという結果を改善させる必要がありますが、やはり肝心なのは、そもそもの原因を知り、その改善を目指さなければ、いたちごっこですね。 以前、100キロほどの体重がある女性が脂肪吸引をして一度はスリムになり、数か月後の追跡取材ではきっちり元通りになっていた、というバラエティ番組がありました。まさに肝心の「原因の改善」を置き去りにした例です。しかし、この女性を笑うことはできません。時に私達は原因と結果の関係を間違って判断し、ちぐはぐな行いをする生き物のようです。 ある日、高校受験に失敗した息子とその母が来寺され、どうかこの子が次の試験で合格できるように先生の力でお祓いをしてくださいと真剣な顔で言われました。子供を連れ歩く場所を間違えていますよ、私に数式でも教えろというのですか?と、こんなところへ来る時間があれば机に向かうか、塾の門をたたくように伝え帰っていただきました。 人生はすべて自因自果であると仏教はいいます。自分の行い=「因」にふさわしい結果を受け取る、ということ。目の前の結果は、その結果にふさわしい原因によって引き起こされただけのこと。このことを正しく理解していると、結果に振り回されることなく、手を打つターゲットは「因」のほうであることがわかります。 先ほどの親子のような、他人になんとかしてもらって自分の幸せを得ようとする行為を仏教では「他因自果」といい、他が行って自らの人生の果を変えることはできないのですよ、と教えます。│お│説│法│コ│ー│ナ│ー│̶身体と心の健康̶ Vol.10●尼僧●書画家●真解学総裁●拘置所篤志面接官●逆視道協会最高顧問瀧本 光静(たきもと こうせい)2012.4.16プライド時に我々衆生はプライドをはき違えています。7

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