やまなしの国保
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である。けっこうおおぶりできれいな、どこかで見たことのある花がいくつも咲き、その横に見慣れた9枚の葉をつけた枝が風でそよいでいる。 のうぜんかずらだった。凌霄花と書く。 厄介な雑草・雑木。植えてはいけない植物にも属している蔓性植物が地上を制覇し、樅の木の幹にとりついたのだ。何度も引きはがしたり引き抜いたりしたのだが、根負けした結果がこの3mを越える高さでの開花だった。 となりの木には、しっかりと静かにやぶからしが、いくつもの深い緑の5枚の葉を木のてっぺんまで届かせているのだった。 山本周五郎の短編に「やぶからし」1と「凌霄花」2がある。文豪の筆によれば、厄介な草木も次のようなかたちで描かれる。 ― なにかの枯れた木に絡まっている蔓性の植物で、朱に黄色を混ぜたような花がいっぱい咲いていた。色も咲きぶりも華やかなのだが、華やかのくせにどこかしんとした、はかなく侘しげな感じのする花だった ― このように描かれるのうぜんかずらが一番好きな、城下一番の商家の一人娘と城代家老の一人息子との恋の物語が「凌霄花」2である。 花の描写はさすがというしかないが、当然ながら、厄介な地下茎を持つのうぜんかずらの話ではない。 「やぶからし」1は山本周五郎の作品の中でも最も好きな短編の一つである。 主人公のすずは4歳の時父母を亡くし、他家で養女として育てられ、「ずいぶん道楽をなさった」跡取り息子のところへ嫁いでゆく。夫は後にやぶからしとよばれる放蕩者で、その後勘当放逐される。そして、すずは再婚し幸せに暮らしている。そこに、やぶからしがまいもどり、先ず5両、次いで最後だと言い20両を要求する。 元夫がやぶからしの由来を話す。 「六つか七つぐらいのときだ」「庭で遊んでいると、当時いた源次というとしよりの下男が、生垣のところに伸びている草を、鎌で掘っては抜き捨てている。なんだと訊くと、やぶからしという草だと云った。どうして抜くんだ、どうしてって、これは悪い草で、伸びるとほかの木に絡まってその と「凌霄花」木を枯らしてしまう、竹藪さえ枯らしてしまうので、いまのうちに抜いてしまうのだ、と源次が答えた。」 やぶからしと呼ばれていると自ら言っていた離縁した元の夫。最後に20両を持ってこいと言っている元の夫。代わりに懐剣をふところに入れて会いに行くすず。遠くで助けを求める声が聞こえた。 「すず―」 わたしはよろめき、道の脇へ行って立ちすくんだ。そこは竹藪がかぶさっていて暗く、竹の枝に絡まった蔓草の先が、垂れかかって私の顔に触った。 ― 野詰めにされる。命が危ない。 あれは本当だった。あの方が云ったことは事実だったのだ、そう思いながら、うるさく顔に触る蔓草を払いのけたが、ふとその蔓草を見て、突然なにかで突き刺されるような痛みを胸の奥に感じ、知らぬまにわたしは泣きだしていた。禍は去った。これですっかり終わった、という安堵感と、あの方がいかにも哀れに思えたからである。 わたしはそのやぶからしの蔓に、片手をそっと触れながら、涙が頬を流れるのもしらずにいた。 3本の樅の木に近寄って眺めると、夏の間咲いていたのうぜんかずらの花がただ一つだけ残り初秋の風になびいている。9枚の葉をつけた枝が数本風に揺らいでいる。すぐ傍らの樅の木にも太い蔓と枝が見られる。 もう一本の樅の木にはやぶからしがとりついて、しっかりと頂部を目指して延びている。 この周五郎の世界で描かれた景色も、来年か再来年までかもしれないと思っている。 実は今、私が立っている、この樅の木とアジサイとダリヤとポーチュラカなどの花たち。そして、のうぜんかずらとやぶからしのある植栽の真上をリニア新幹線が通過するのだ。そうすれば、樅の木も蔓草に覆われた花たちも、ここにはもう残ることはないのだ。 「もうすぐここも最期になるのだから、好きなように生きればいいさ」などと在宅医を兼ねる園芸家はやぶからしとのうぜんかずらをながめながら思っている。1…山本周五郎 やぶからし 新潮文庫 やー2-372…山本周五郎 あんちゃん 新潮文庫 やー2-3もみ  きもみ  きもみ  きもみ  きもみ  きもみ  きわび・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26

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