やまなしの国保
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 今回は瓦職人の師匠と弟子のエピソードをお話ししましょう。 ある屋敷の瓦の修理を任せられた弟子が高いはしごを使って屋根にあがり、師匠と屋敷の主はその様子を見上げていました。作業が終了し弟子が冷や冷やする高さからはしごで下りてきます。ようやく師匠の背の高さほどまで下りてきたときに、「お前、気をつけなさい」と師が弟子へ声をかけたのです。 それを横でみていた屋敷の主が不思議に思い「お師匠さん、弟子があんな危ない高所にいたときには声をかけないで、背の丈ほどの低いところまで下りてきたときに注意をするのはなぜなのか?」と聞きました。師は「高い場所にいるときには、自分で気を付けているものだ。人間というものは自分で気を付けている時には怪我などしない。怪我や失敗をしてしまうのは、心のどこかでもう大丈夫だ、と気を緩めたときである。だから他人の私が気を付けさせる必要がある。」と答えたのです。 師匠は弟子が怪我をしないよう、本人が安心をしてしまう低い場所だからこそ今一度気をつけよ、と愛のある言葉をかけたのです。その優しさを弟子もよく理解をしていて生涯にわたり素晴らしい徒弟関係を築いたというお話しです。 本人が気を付けている時は安全、反対にもう安全だと思ったときに怪我をする。これは車やバイクも同じですね。ある調査によると、年間の交通事故の件数からして、初心者の事故は意外にも少なく、むしろ運転に慣れた運転歴2,3年目を迎えるドライバーの事故が最も多いとか。 そしてこのエピソードは「人間関係もまさにこのようである」と警告をしています。 私たちは、人と新たなご縁をいただいた最初のころなら、軽率な態度や失言という失敗もなく穏やかな人間関係をつくることに気をつけているものですが、いつしか「慣れ」という魔物によって、横柄な言葉になり、笑顔も減る。本来の「会話」とは「快話」であるはずが、「怪話」になってしまいます。互いの緊張感が消滅し、慣れだしたときが一番気を付けるべきときです。 これらをお伝えしたいと思い、以前、婦人会の集会で講師をしたとき、参加予定の皆さんへ「とっておきの手作りのおむすびを一つだけ作って持ってくるように」と事前に伝えました。 そして当日、そのおむすびを隣に座っている人と交換して食べるように言ったのです。会場はドっと笑いの声がでたかと思うと、各々に自分が持ってきたおむすびの粗末さに対する詫びや、相手の品に対する喜びの言葉で大賑わいになりました。 おむすび一つでも他の人が作ってくれたものは妙に味わっていただくものです。これが「ご馳走」の由来。「馳走」とは本来、あれやこれやと駆け回ることを意味します。 梅干しを入れようかな、それとも塩昆布がいいかなと材料をそろえ、相手が喜んでくれることを一心に念ずる施しの心のこと。仏教ではこの施しのことを「利他」といいます。利とは幸せを意味し、つまり他人を幸せにしてあげるために走り回ることこそが本来の「ご馳走」。それがいつしか「料理でもてなす」へと意味がかわり、今ではお料理そのものを指すようになりました。 自分で作ったおむすびを自分で食べても味気がなく「あぁ幸せだ」などなかなか感じませんが、人が施した品と交換をすることで、味わい深く、相手への感謝さえ湧きあがり、大切にいただけるのです。このことから私たちは自分を幸せにする力以上に、他人を幸せにする力を持っていることがわかります。 施しは「言葉」と「行動」の二種。先ほどの師匠が弟子へ与えたような相手を心配したり、労をねぎらうなどは「言辞施=ごんじせ」、またおむすび交換で感じてもらった行いによる施しを「身施=しんせ」といい、いずれも相手を幸せにできる尊い布施行です。 我々は「慣れた関係」になると同時に、相手から何かをしてもらうことを求め始めてしまいますが、よく考えてみると互いに求め合っているのですから、互いに与え合えば全て解決しますね。休日にでも、私があなたへのおむすびを作るから、私へのおむすびを作ってくれない?なんて快話をしてみるのはいかが?10

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