やまなしの国保
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大阪生まれ。美術大学卒。15年間外資系商社のキャリアを積み僧の道へ。頭部の動脈乖離を起こし奇跡的に生還。現在、年間250本の講演会を行う。独自の鑑定法で行う指導は延べ4万人を超え、更生教育を担当し受刑者にも発信している。物事を逆の視点(仏法視点)で捉えるカリキュラム、一般社団法人・逆視道協会を2017年に発表。海外からも受講生が集まっている。仏法を表現した書は多くの支持を得、光静ミュージアムが設立される予定。他、瞑想教室、書画教室、ラジオ「光静の仏ブツいこか」パーソナリティ ゴミを拾うことは誰もが認める正しい行為。やはり正しい行いはどこか清々しいもので(いい事をしたぞ!あぁ気持ちがいいな)という感情を朝一番にいだくと、普段は嫌だと思うことでも(ま、そんなこともあるよね)と寛大な心が生まれ、好ましい解釈ができるのです。 このように私達の心は、直前の心を軸として、その後につづく出来事に意味をつけるので、できる限り一日の早い時間に「あぁ、気持ちいいな」という感情を意図的に作り出しておくことが幸せのコツなのです。 「出来事」は常に連続して起き続けます。そして、それらは単に「起きている」だけであって、そもそも意味はありません。道路が渋滞していてノロノロ走っているなら「早く行けよ」と思うのか「あぁこれで今日は事故が少ないぞ」と思えるのかも意味づけ次第です。私はこれを「こころ眼鏡」と呼んでいます。心の在り方が眼鏡となり、幸せと感じるのか、好ましくないと感じるのか。やはり素敵なこころ眼鏡でありたいですね。その眼鏡を「しあわせ眼鏡」にするには、ゴミを拾うことが最適なのです。 東洋に冷暖自知(れいだんじち)という言葉があります。例えばお鍋。そのお鍋をじっと見つめていても、それが熱いのか冷たいのかは、見ているだけではわかりません。「このお鍋は熱いのですか?冷たいのですか?」と人へわざわざ質問するよりも、自ら触ってみればすぐにわかる。つまり「何事もつべこべ言うよりもやってみなさい」という教えです。私達は頭で知っていることは多いけれど行動数と一致していない「知識」ばかり。自ら行動をして「なるほど」と体感することが「生きる智慧」なのです。さぁ、ゴミ袋をカバンにいれて出かけてみませんか?きっとしあわせ眼鏡が今日を素敵にしてくれるでしょう。プロフィール:2012.4.9背中で言う「笑顔で、元気よくいなさい!」の教育。間違っていないと思います。ただ、しかめっ面で言っていませんか?最高の笑顔で元気よく「今日もよろしくね!」と常に言える自分でいられるよう精進してまいります。8

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