やまなしの国保 4月号
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 百花春至為誰開(ひゃっかはるいたってだれのためにひらく)という禅語があります。間も無く一斉に世間を彩りはじめ、私達を癒し元気付けてくれる花々はいったい誰のために咲くのか。(よし、癒してやろう)とか(そのかわりに水をおくれ)などの見返りは求めず、自分の本分を短い命の中で無駄なく全うしている花のような尊い生き方を、少しはあなたも目指してごらんなさいな、誰かの評価を得るためでなく、交換条件ばかり考えないで、自分の役割りをただ大切に行ってごらんなさい、そうすれば静かで豊かな心の境地が待っていますよ、という心騒がしく生きる我々に対するうっとりするほど美しい教えです。 最近は講演会で、私から出した3つの質問に対しグループに分かれてお話しをしてもらうようにしています。 1つ目の質問は「過去2年以内で最も幸せを感じたことは何ですか?」。2つ目は「今日幸せを感じたことは?」最後は「10分以内に得た幸せは?」です。さて、あなたならどう答えますか? 2年以内の幸せへの回答は、旅行や孫の誕生、試験の合格、家が売れた等々みんなそれぞれ違いながらも共通点として、物質的な豊かさや特別な経験があったか。つまり「大きな内容」を探しにいく傾向にあるということ。 そして今日の幸せへの回答は、老若男女が交じる会場でありながら回答が集中してきます。家族がみんな元気だったこと、今日も生きていること、しっかり歩けること・・と、日ごろ見落としがちでありながら、しっかりと繰り返されていたささやかな幸せに注目ができ、更に最後の「10分以内の幸福」となると全員が一致するのです。皆が目の前にいる人へ向かって「あなたに出会えたこと」と伝えます。10分以内と言われるとそれしか無い、のではなく、やっと見えるのです。感謝をさがす焦点を「今」に絞っていくと、孫の誕生も、友人との旅行も、全ての大きな喜びは、一粒の「縁」が無数に集まった姿。量子力学的にいうと幸せの「素粒子」ですね。今に集中すると、目の前にある最小単位の幸せが見えるのです。 以前、難病と闘う子供をつれてお母さんがお寺にこられた時のこと。男の子の何気ない言葉に衝撃を受けました。私がハンドクリームを塗っているところを見て、なんでそんなものを塗るの?と聞くので、年を取ると手がカサカサになるからねと返答したら「僕もそれが必要になるまで生きたい」と、お母さんの顔を見ながら笑顔で言ったのです。「後で仏さまに聞いてみようね」と、我が子の頬をなでる母の横顔はまるで菩薩さまでした。両足に障害をもった少年の将来の夢は「立つこと」でした。装置を外して太陽の下にでることを夢みている少女もいました。私は今、血管の病があり、気圧の変化が命取りと宣告をうけていますが、彼等が人生をかけて追う夢はすべて叶えていただいている贅沢な命です。「百の花、春至って誰の為に開くのか」誰が認めてくれるのか、誰が褒めてくれるのか、といった他人評価の執着から離れ、与えられた命を自分らしく咲かせる・・・そんな「今」の連続を大切に歩んでいきたいものです。春になったら、無邪気に咲き乱れる小さな愛おしい花たちをぜひ眺めてみてくださいね。│お│説│法│コ│ー│ナ│ー│̶身体と心の健康̶ Vol.418

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