やまなしの国保 10月号
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 夫婦の離婚問題をはじめ、健康の不安、子育ての悩み、借金問題、部屋を片付けられない・・・等々のご相談で連日多くの方がお寺に来られます。私は弁護士でもなければ、医師でも会計士でもありません。いわゆる普通の尼僧です。それぞれプロフェッショナルの先生がおられるのだから、そちらの門を叩けば?と思ってしまいそうですね。ところが「これらの問題を抱えるハメになったということは、自分のモノの捉え方が間違っていたからではないか?」と思考方法のご相談が多いのです。仏教とは、実践的な行動学そのもの。今回は、すぐに他人と意見の対立を始めてしまう心が、少しでもまるく、穏やかになれるモノの見方をお話ししようと思います。 私たちは、自分が見たこと、感じたことはすべて「正しい」と思いがち。仏教にこんなエピソードがあります。今年の夏は海に行かれましたか?私たちはあの海を「水」の集まりと定義しています。そして水の中に住んでいる魚たちの目線で言うなら、水はまさに「自分たちの住処」であり、その魚を食べようと陸地から飛んできた鳥からすれば、そこはまさに「食堂」なのです。また、天に住む天人たちは「美しい瑠璃の宝石である」という。 さぁ大変です。同じ水であるのに4者がまったく異なった意見を言っています。我々は「水」といい、魚は「家だ」、鳥は「食堂!」、天人は「宝石」という。どれが一番正しいのでしょう。君の言っていることはおかしいよ!とどれほど言い争っても、どうやら解決しそうにありません。なぜならすべて正しいからです。 このように世の中には「異なった意見であっても全て正しい」ということがある。ではどうしてこのようなことが起きるのか。それは、それぞれに生きてきた歴史が違う、歩んできた背景が、触れてきた言葉が、環境が違うから、見る主体の内実によって、同じモノでも異なって見えて当然なのですね。 これが人間関係というものです。このように「どれほ│お│説│法│コ│ー│ナ│ー│̶身体と心の健康̶ Vol.2●尼僧●書画家●真解学総裁●拘置所篤志面接官●逆視道協会最高顧問瀧本 光静(たきもと こうせい)2011.5.19みかたその苦には対極があるはず。苦に対極する恵みや自由が身近なものであったと気付くために体験させていただいていると分かればなんと豊かな時間でしょう。その「苦」に感じているモノは明日の灯火の導火線です。18

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